ラムがまだ1歳になったばかりの頃。
私は、本気で悩んでいました。
この犬のエネルギーを、一体どうしたらいいんだろう。
ジャックラッセルテリアのラムは、とにかく元気でした。
散歩へ行っても、
「次は?」
遊んでも、
「次は?」
家に帰っても、
「で、次は?」
体は小さいのに、エネルギーは底なし。
当時の私は毎日、ラムに何をしてあげたらいいのかを考えていました。
ところが、そんなラムが1歳になったばかりの頃。
パテラのリハビリで言われたのが、
「ゆっくり歩いてください」
でした。
……この犬にですか?
元気いっぱいの1歳に「ゆっくり歩く」
もちろん、膝を守ることは大切です。
筋肉をつけるためにも、ゆっくり歩く。
まだ十分に筋肉がついていない時期は、犬同士で激しく遊ぶことも控える。
頭では分かっていました。
でも、目の前にいるのは、元気いっぱいの1歳のジャックラッセルテリアです。
走りたい。
遊びたい。
匂いを嗅ぎたい。
いろいろなものを見たい。
犬とも遊びたい。
それまで当たり前に向かっていた犬のいる場所を避け、静かな道を選び、ただゆっくり歩く。
膝のためには必要なことでした。
でも私は、少しずつ別のことも考えるようになりました。
このエネルギーは、どこへ行けばいいんだろう。
運動を制限していた時期、ラムには吠える、落ち着かない、部屋で排泄するといった、それまでとは違う行動も増えました。
もちろん、そのすべてが運動を制限したことによるものだったとは言い切れません。
ただ、当時相談させていただいたトレーナーさんから、
「発散が足りないんですよね」
と言われたとき、
ラムの中には、使いたいのに使えていない何かがあるのかもしれないと思いました。
「ダメ」を増やせばいいわけじゃない
膝を守りたい。
でも、だからといって、
走っちゃダメ。
跳んじゃダメ。
遊んじゃダメ。
興奮しちゃダメ。
あれもダメ。
これもダメ。
それもダメ。
一体、何ならできるんだろう。
それも違うような気がしました。
一方で、
「犬なんだから走るのは本能だから仕方ない」
「ジャックラッセルなんだから元気なのは当たり前」
そう言って、何でも好きなようにさせておけばいいとも思いませんでした。
人と一緒に暮らしている以上、犬にも人にも守らなければならないものがあります。
抑え込むのも違う。
ダメを増やすのも違う。
本能だから仕方ないと放っておくのも違う。
だったら——
「ダメ」の代わりに、何ができる?
私は、そんなことを考えるようになりました。
できないなら、「できる形」を探してみる
本格的なアジリティは難しい。
だったら、パルクールならどうだろう。
ディスクを追ってジャンプするディスタンスは難しい。
だったら、地面を転がすローリングレトリーブなら?
暑い夏は長時間歩けない。
だったら、水に慣れることができれば、夏にも楽しめることが一つ増えるかもしれない。
ほかにも、ボード系スポーツ、カニクロス、オビディエンス。
ノーズワークやトリックも増えていきました。
全部を一度に始めたわけではありません。
ラムの膝の状態を見ながら、そのときできることを一つずつ。
できないことがあったら、
「じゃあ、別の方法は?」
また一つ探す。
本格的にできなくてもいい。
ほんの少しでも、ラムが体を使えること。
考えられること。
夢中になれること。
一緒に楽しめること。
そんなものを、少しずつ増やしていきました。
30秒を1000回
ラムとの遊びやトレーニングは、一つひとつを見れば、本当に短いものもあります。
ちょっと探す。
少し考える。
一つ成功する。
数回だけ体を使う。
そして、おしまい。
でも、そんな小さな「できること」を、私はずっと増やしてきました。
言うなれば、
30秒を1000回。
長時間走らせて、クタクタにすることだけが「発散」ではありませんでした。
走れないなら、探す。
跳べないなら、転がす。
激しく動けないなら、考える。
その日の体調や天気に合わなければ、別のことをする。
一つの方法で全部をどうにかしようとするのではなく、
ラムのエネルギーが向かえる先を、たくさん作る。
振り返ってみると、私がやってきたのは、そんなことだったのだと思います。
エネルギーを「なくす」必要はなかった
あの頃の私は、
「膝を守りながら、どうやってこのエネルギーを発散させてあげよう」
と必死に考えていました。
でも今振り返ると、少し違うような気がします。
私はラムを、ただ疲れさせたかったわけではありませんでした。
走りたい。
探したい。
追いかけたい。
匂いを嗅ぎたい。
考えたい。
人と一緒に何かをしたい。
そんなラムの「やりたい」に、
膝を守りながら、行き先を作ってあげたかった。
たぶん、それだったのだと思います。
犬のエネルギーは、抑え込むものでもない。
「ダメ」で全部に蓋をするものでもない。
だからといって、
「犬なんだから仕方ない」
と放っておくものでもない。
その子が持っているエネルギーを見ながら、
この子には、どんな使い道があるだろう?
と、人間側が考えてみる。
できないことがあるなら、できる形に変えてみる。
一つが難しければ、別の選択肢を探してみる。
そうやって増えていった小さな選択肢が、ラムのエネルギーの行き先になっていきました。
エネルギーがあること自体が、問題だったわけではありません。
必要だったのは、
そのエネルギーが向かえる場所だったのかもしれません。
そして3歳になった今も、何かが終わるとラムはこちらを見ます。
でも、1歳の頃とは少し違います。
あの頃は、
「で、次は!?」
だったのが、今は、
「ねぇママ、次は何して遊ぶ?」
そんなふうに聞かれている気がします。
やることが増えただけではなくて、
いつの間にか私たちは、
一緒に「次」を考えるようになったのかもしれません。
体高30センチの先生。
さて。
次は何する☺️?
🐾合わせて読みたい
🌿犬にとって、幸せな暮らしって何だろう。
ラムとの日々から考える「犬はどう生きたい?」シリーズはこちら。





